ニシエヒガシエ

140文字に納まらないときに使う場所

それぞれのモノサシ

以前仕事の家賃補助の関係で、
「更新したアパートの契約書の写しを持ってきて。無いと家賃補助が出せなくなる。」
と、何度も何度もお願いしているのに、
全く持ってくる様子がない後輩がいた。

しびれを切らしてボスに
「○○さんが証明書類を持ってこないので、家賃補助を止めます、って伝えてもいいですか?」
と一応お伺いを立てに行った。
ボスの答えは、
「家賃補助を止められて給料が減るってことは、ゆなさんにとっては嫌なことだと思うけど、○○にとってはそれほど嫌なことじゃないんだよ。だからそういう言い方をしても、○○は書類を持ってこないと思う。」
「○○が本当にやられたくないことは上の人間に注意されることだから、まず□□さん(職場のNo.2)に話をしてもらうようにお願いして。それでも書類を出さなかったら、オレに言ってくれれば話をするから。」

給料が減るのを嫌がらない人間なんているんだろうか?と思いながら、
ボスの言葉通りにNo.2に相談したら、
次の日には後輩が申し訳なさそうに契約書の写しを持ってきた。

仕事にやりがいを感じてはいるけど、何より月イチの給料と、年2回のボーナスを最大のモチベーションにして働いている自分にとって、この後輩の行動原理はちょっと衝撃的だった。
(そしてそれをバッチリ見抜いている当時のボスにも驚いた。)

これは極端な例だけど、人にはそれぞれ判断のモノサシがある。
わたしが「Aであるためには、Bの条件を満たしてなくてはいけない。」と思っていても、
他の人は「Bの条件を満たしてなくても、Aであることもできる。」と思っているかもしれない。

そんな人に「BではないのにAだと言うのはおかしい。」と言っても、元のモノサシが違うのだから通じる訳がない。

つい最近も、何だかモヤモヤするな、と感じた他の人の言動があって、話を聞いてくれた人も「それはおかしいね!」と言ってくれたんだけれど、それはたまたま回りにいる人のモノサシが、わたしと近かっただけの話だ。
(逆にモノサシが近いからこそ一緒にいられるとも言う。)

SNSでいろいろな意見を広く目にすることができるようになった分、モヤモヤした思いを抱くことも増えた。
でもそこで「こんな考え方はおかしい!」と思う前に、「自分とはモノサシが違うから仕方ないね。」と穏やかに考えられる機会を増やしたいと思う。