ニシエヒガシエ

140文字に納まらないときに使う場所

わたしを変えたあなたへ

競馬場に毎週のように通って、障害レース好きの仲間を増やすべく、せっせとブログに観戦レポートをアップしていた2009~2010年春。
わたしはほとんど障害レースの馬券を買っていなかった。
当時のわたしは、ブログの更新を続けることが、障害レースを応援することだと信じこんでいて、売り上げの面では、平地のレースを買っているからそれでいいと思っていたのだ。
(余談だが、1.3倍の複勝を1万円買って、当たったら+3000円!みたいな買い方だった。それはそれで振り切れていたと思うけど。)

障害の馬券は、たまに頑張れ馬券を100円ずつ買うくらい。
今のわたしが当時のわたしを問い詰めたら、多分
「自分にとっては、障害レースを走る馬たちは純粋に応援したい対象だから、馬券(=ギャンブル)の対象にするのは申し訳ない。」
と答えていただろう。

そんな今思えば勘違いでしかない想いを見直すきっかけになったのが、2010年4月18日の「ジョッキーと行く!中山グランドJツアー」だった。
当時は葉書かメールで事前申し込みの後、抽選で当たった40人だけが参加できるという、かなりの狭き門になっていた。

わたしのブログは、拙いながらも続けている内に定期的に記事を読んでくれる人、コメントをくれる人が少しずつ増えてきていた。
その中の1人で、実際に会って競馬を見るようになっていた人と、一緒にツアーに申し込んでみることになった。
外れてもパドックのジョッキーイベントに行けばいいよねー、と話していたら、何と相手が申し込んだ分が当選!!

そしてツアーが開催される皐月賞当日。
わたしはそれまで平地GⅠの現地にいたことがなく、前日の中山GJとは段違いの人出に驚くとともに、少し悔しくも感じた。

最終レースまで見届けた後、集合してついにツアー開始。
当日の参加ジョッキーは、関東所属で前日の中山GJに騎乗していた、五十嵐雄祐J・江田勇亮J・浜野谷憲尚J・蓑島靖典J・山本康志Jの5人。(五十音順)
コースを歩きながら、1号水壕障害・5号生垣障害・4号竹柵障害・大障害コースのバンケット・大生垣に大竹柵と、今ではお馴染みとなっている順番に障害を見学し、ジョッキーの解説を聞く。
移動中にジョッキーに質問することもできたけど、当時のわたしは緊張しすぎて、話すことが何も浮かばなかった。

予定のコースを回り終えて、最後に大生垣の前でジョッキーの方々からの挨拶があった。
そこでわたしは大きなショックを受けた。
途中で話すことに違いはあれ、必ず最後には「障害レースの馬券を買って応援してください」と言っていたのだ。
そして、最後に挨拶をしたのが山本康志J。
「障害は平地を諦められた馬が出走することが多いから、その馬がもう1度頑張れるように応援してほしい。お昼休み前の4レースだと、どうしても見る人が少なくなってしまう。たくさん馬券が売れれば、JRAがもっと後ろのレースにしてもいいと思ってくれるかもしれないから、まずは馬券を買って、障害レースの売り上げを増やしてほしい」
他の年のツアーで話したことも混ざっているかもしれないが、大体こんな内容だった。

わたしはそれまで、ジョッキーに対して、「馬券を買って」「売り上げを増やして」というような、直接的なことは言わない、というイメージを勝手に持っていたのだと思う。
だから「応援する人が増えるようにブログを書いてます!」で、応援が成立すると思い込んでいた。
でも、競馬においてはそれは成立しない。
売り上げという目に見えるものにしないと、応援の気持ちは届いていないも同然なのだ。

次の週から、わたしは真剣に予想をして障害レースの馬券を買うようになった。
まずはJRAの公式HPの馬柱を見ることから始まり、それが一般のスポーツ紙になり、やがて専門紙を買い始めた。
ちゃんと予想をすることが、命をかけてレースに向かう人馬に対して、自分ができるせめてもの行いだと思っている。

「障害レースの応援をよろしくお願いします!」
山本Jは、ウイナでファンサを終えた後、必ず最後にそう言って帰っていた。
それを聞くたびに、これからも「応援」を続けていこうと、気持ちを新たにすることができた。

そんなわたしが変わる大きなきっかけになった山本Jが、今日騎手として最後の騎乗を終えた。

引退の知らせはあまりにも突然で、無観客競馬が終われば、また元のように応援できると思っていたから、どうしてこの時期なのか、悲しくて仕方がなかった。
でも、ネットニュースやTMさんのツイートに登場する山本Jの表情がとにかく晴れやかであったことで、その悲しさも少しは薄らいだ。

レース後に各社から配信されたコメントの通り、怪我で志半ばで引退する先輩や後輩を見てきたからこそ、自分で引き際を決められたことへの、果てしない前向きさが感じられた。
そんな人に対し、ファンに出来るのは、今後の活躍を祈りながら見送ることだけだ。


山本康志J、25年間の騎手生活、本当にお疲れ様でした。
10年前の山本Jの言葉がなければ、今こうして障害レースの応援をし、馬券を買うとともに、幕出しやSNSに勤しむ自分は存在していなかったと思います。
本当にありがとうございました。
もうウイナでの挨拶は聞けないけれど、その想いを胸に、これからも変わらずに障害レースの応援を続けて、自分で出来ることに取り組んでいきます。
改めて、今後の調教助手としての活躍をお祈りしております。